曖昧さを受け入れるための過程
旧Twitter上で腎機能の評価の曖昧さを話してもわかってもらえないという話1を見かけて、まだ駆け出しだった頃、自分もそれなりの確度で腎機能を予測できると信じていたことを思い出した。邦文の書籍には書いてないだけで、何かいいやり方──CG式やJSN eGFRとは別の計算式の存在、クレアチニンの値を補正する等──があるんじゃないかと思い、PubMedであったり、医中誌であったりを探索していた。
そうやって探索で見つけた論文や記事を読んでいくうちに、また、病棟での業務で色々な経験を積んでいくうちに、そんなものは幻であり、自然とその曖昧さを受け入れていくようになった。
こういう実体験があるせいか、言葉だけでその曖昧さを他人に受けて入れてもらうことは難しいと感じていて2、自分のように自分で調べてみたり、実際に経験3していく過程で、この曖昧さをわかってもらうしかないのかなと思っている。
そういう過程にいるところを見守りつつ、推算式の落とし穴にハマりそうになった4ときにはそれを回避するための助言をする、みたいなことが先輩としてできる数少ないことなのかな。もちろん、どうせ話しても受け入れられないだろうからといって、教えるべきではないということではない。話をすることで、落とし穴にハマる確率は下がるだろうし、こういう過程を経るためのとっかかりにはなると思うので。